群馬県立文書館所蔵国指定重要文化財絵図シリーズ


平成22年に国の重要文化財に指定された群馬県立文書館所蔵「群馬県行政文書」の中から、色鮮やかに残る絵図を毎月ご紹介するシリーズです。

「群馬県行政文書」は明治から地方自治法制定以前まで群馬県庁で作成された公文書ですが、今回は明治期の「古社寺調(こしゃじしらべ)」の絵図を取り上げます。

明治維新による急速な文明開化の流れは、昔からの伝統文化(美術品や建造物、文化遺産など)を軽視する風潮を生み出す要因ともなり、文化財の存在が危機に直面することになります。

そこで明治政府は明治28年(1895)、地方機関であった全国の県に指示を出し保護の対象となる古社寺の実態調査を行い、報告書とともに絵図の提出を求めました。

これが「古社寺調」であり、「群馬県行政文書」として残っているものは明治29年(1896)に作成した報告書の控えです。

この調査をもとに明治30年(1897)「古社寺保存法」が制定され、事実上の指定制度を持つ文化財保護行政が始まりました。


水澤寺(すいたくじ)(A0384A0G526 2/3)
 渋川市伊香保町水沢にある水澤寺の絵図です。五徳山無量寿院と号し、天台宗の寺院です。本尊は千手観世音菩薩で、坂東三十三カ所一六番札所水沢観音として知られ、現在も当時と変わらず多くの参詣者を集めています。境内にある六角二重塔(県指定重要文化財)は、六道輪廻の思想を造形的に表現しています。
(2020. 8.27)


産泰神社本殿前面図・横面図(A0181A0M 2316 2-1)
 群馬県地域創生部文化財保護課が作成したパンフレット「ぐんま寺社巡り」で紹介されている産泰神社は、安産・子育ての神として知られています。前橋市下大屋町にあり、以前は南向きの社殿でしたが、前橋藩主酒井氏の尊崇が厚く、前橋城を守護するために西向きに建て替えられたと言われています。宝暦13年(1763)に建てられた本殿は全体が多くの彫刻で飾られており、「横面図」からも2人の人物の彫刻が読み取れます。
(2020.4.15)


木曽三社神社絵図(A0181A0M 2316 2-1)
 現在の渋川市北橘町下箱田にある、木曽義仲ゆかりの神社です。元暦元年(1184)義仲が近江国の粟津で敗死した後、彼の遺臣たちが創建したと伝えられています。現在、境内から湧き水が流れていることでも有名です。絵図の右、高い石段を降りると上から下へと流れる川に突き当たり、境内全体に描かれている老樹とともに、赤城山の豊かな自然を巧みに表現しています。
(2020.3.6)

近戸神社(現在の大胡神社)絵図(A0181A0M 2316 2-1)
 現在の前橋市河原浜町にある大胡神社の絵図です。大胡城跡のすぐ北端に鎮座する大胡神社はもとは近戸神社と呼ばれており、明治42年(1909)に周辺の22社を合祀して大胡神社と改称されました。絵図の中央、境内にひときわ高く一本の木が描かれています。この木は現在も同じ位置にあり、樹齢300年以上と推定されるムクロジの木と考えられます。
(2020.2.5)



満徳寺絵図(A0181A0M 2317 2-1)
 満徳寺は現在の太田市徳川町にあった尼寺で、江戸時代には縁切寺として公認されていました。明治5年(1872)に廃寺となり、同26、27年頃に再興の動きがありましたが復興には至りませんでした。絵図には、本堂、井戸、表門、墓の他、大きな槻の古木と何本もの桜の木が描かれています。現在は本堂と玄関、門、塀、庭園が復元され、資料館も建てられて遺跡公園として親しまれています。
(2020.1.7)

曹洞宗茂林寺絵図(A0181A0M 2319 2-2)
 現在の館林市堀工町にある、文福茶釜の寺として知られる茂林寺の絵図です。伽藍や聖観音は現在も同じ場所にあり、赤く描かれている元禄7年(1694)建築の「山門」と「本堂」の間にある枝垂れ桜も絵図に大きく描かれています。一番左の建物は今、「守鶴堂」と呼ばれています。ここには開山大林正通に従い、この地にたどり着いた守鶴和尚の像が安置されています(この守鶴が狸の化身だったそうです)。
(2019.12.4)


華敷山補陀落院慈眼寺絵図(A0384A0G 526 3-2)
 現在の高崎市下滝町、井野川のほとりにある慈眼寺の絵図です。「華敷」(けふ)とは、春の庭に垂れた枝に咲き競う桜の花が、地面に敷きつめる様子を表しているそうです。その名のとおり、古来より桜の名所として人々に親しまれ、絵図にも参道沿いや池の周囲にしだれ桜が何本も描かれています。中央上の本堂、すぐ下の鐘楼、本堂左の観音堂の配置は今も変わっていません。
(2019.11.6)




熊野神社絵図(A0181A0M 2318 2-1)
 現在の安中市松井田町の碓氷峠にある熊野神社の絵図です。この神社は全国的にも珍しく、神社の中央で群馬県と長野県に分かれ、イザナミノミコトとヤマトタケルノミコトを祀る「本宮」が県境の上に建てられています。絵図の右が群馬県側、左が長野県側で、現在も絵図と同様「本宮」を中心に、群馬県側には「新宮」が、長野県側には「那智宮」があります。また、絵図の左下には出版年と考えられる「明治12年」の表記があります。
(2019.10.2)



浄法寺絵図(A0181A0M 2075)
 現在の藤岡市浄法寺にある、鑑真の弟子道忠の創建と伝えられている「浄法寺」の絵図です。絵図の右、日枝社の近くに「相輪橖」(そうりんとう)の位置が示されています。浄法寺の相輪橖は、弘仁6年(815)に最澄の発願により建立された全国六ケ所宝塔の一つで、現在に残されているものは寛文12年(1672)に再建されたものです(藤岡市指定文化財)。
 ※「相輪橖」とは、相輪塔とも書き、柱の上に相輪を取り付け、経巻を柱の中に納めた金属製の仏塔のこと。
(2019.9.5)



大信寺見取図(A0384A0G 526 3/2)
 現在の高崎市通町にある「大信寺」の絵図です。絵図の右上に松の木が一本、大きく描かれています。本堂は昭和20年(1945)戦災により消失しましたが、昭和23年(1948)に再建されました。また、徳川二代将軍秀忠の三男で駿河大納言と呼ばれた徳川忠長の墓があり(高崎市指定文化財)、墓はかつて廟の中にありましたが、廟は戦災で消失してしまいました。
(2019.8.23)




元景寺絵図(A0384A0G 526 3/2)
 初代総社城主秋元長朝が父景朝の供養のために創建した、現在の前橋市総社町植野にある「元景寺」の絵図です。絵図のほぼ中央に描かれている本堂は、棟札によれば、延宝5年(1677)勢多郡八崎村(現渋川市)萩原長左衛門尉命長が建てたとあり、かつては萱葺でしたが、現在は瓦葺に改められています。
(2019.7.8)



龍海院絵図(A0181A0M 2315)

 江戸時代、前橋藩主酒井家の菩提寺であり、現在は前橋市紅雲町にある「龍海院」の絵図です。絵図の中央に描かれている山門には、正面南に増長天王像、北に毘沙門天王像が納められています。また、絵図の下方に描かれている門と塀は現在、存在していません。参道は春になると桜花が咲き乱れ、明治20年頃の前橋市街十景に挙げられています。
(2019.6.5)





群馬県上野国邑楽郡伊奈良村大字板倉村郷社雷電神社本社御供廊下拝殿側面縮図(A0384A0G 2298)

 現在の本社は天保6年(1835)に再建されたもので、江戸時代の神社装飾建築を伝える華麗な二間社権現造の社殿です。克明に描かれている彫物は、左甚五郎10代目親方、石原常八(現在のみどり市東町花輪出身)の作です。

(2019.5.14)




県社榛名神社建物見取図(A0181A0M 2301)

 文化3年(1806)再建で左手に拝殿、右手に本社があり、本社に接する神體巌(現在は「御姿岩」と呼んでいます。)には御神体をお祀りしています。

(2019.4.5)




赤城(大洞)神社 (A0181A0M 2316 2-1)

赤城山大沼湖畔の赤城神社。江戸時代には歴代前橋藩主の信仰も厚かったようです。
現在、社殿は黒檜山の麓の小鳥ヶ島に移され、跡地には鳥居と「聖地記念之碑」が建っています。
(2019.3.5)




北甘楽郡妙義町郷社妙義神社全図(A0385B0G 2375)

妙義町(現富岡市)の妙義神社の図。
妙義神社は現在本殿、幣殿、拝殿などが国の重要文化財に指定されており、他にも群馬県や富岡市指定の文化財が多くあります。
(2019.2.4)