新規公開文書展2021





 
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 加藤家は沼田藩主土岐家の家臣だったお宅です。加藤家だけでなく、複数の藩士の家の資料も含まれており、兵学、礼法、海防に関する文書・絵図、国文学・国学の書籍などがあります。

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表題等
年代
作成者→宛先・提出先
形態・数量
文書番号等
1 〔御直書御請案〕(年始、小児養育之義入念可申旨奉畏候)

文政8(1825)年

片岡翁助 →  工藤伝太夫、加藤半太夫

折1通
加藤家
491-6
 見どころは、沼田藩領において、「小児養育」(養育手当の支給など)を「入念」に行うべきだ、という藩主の指示が書かれている点です。


2

〔絵図〕(相州浦漂着イキリス船ノ名 BROTHERS) *縦28.0cm×横36.5cm

文政元 (1818)年

(片岡)

絵図1舗
加藤家
816-1
 アメリカのペリー来航より35年も前に相州(相模国)に現れたイギリス船が描かれています。黒い船の上には「BROTHERS」という船名が記されています。

3 代々縄張(籠城之格、18城)*縦27.5cm×横693.5cm

安永7(1778)年~天保11(1840)年

片岡安儔、ほか

継1巻
加藤家
428
 沼田藩の甲州流兵学の師範が描いた城絵図です。横に「甲陽兵学伝統一派 上毛州沼田城中 片岡安儔」と署名しています。


4 伺候覚(海防二番手人数割につき、浜手御加勢、夷賊海防につき)

〔嘉永3(1850)年〕


切継1通
加藤家
505-3
 異国船の頻繁な来航に際し、沼田藩が担当する湾岸警備について、さまざまな意見(後半は主に経費削減案)が箇条書きされています。


5  〔雛形〕(草鹿形、的)

(近世)

(渡辺正縄)

1点
加藤家
347
 鹿の形を模した弓術の的の雛形(小型の見本)です。



 和歌山県出身の山高幾之丞は明治35(1902)年に群馬県女子師範学校(現在の群馬大学教育学部の前身)の初代校長となり、在職中に亡くなりました。本文書群の中心は幾之丞の日記や辞令・褒賞状、教育関係の資料などです。 

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6 〔辞令〕

明治35(1902)年

内閣総理大臣 桂太郎 → 山高幾之丞

1通
山高関係
2-94
 初代の群馬県女子師範学校(群馬大学教育学部の前身)の校長に任命された幾之丞の辞令です。


7

明治三十九年懐中日記(1月1日~12月31日)

明治39(1906)年

山高幾之丞

1冊
山高関係
1-8
 山高幾之丞による自筆の日記で、署名もあります。当時の市販の日記帳・手帳の様子もわかります。


8

香奠帳(知事 南部光臣、郡長、校医など、香奠全額204円70銭、ほか)

明治41(1908)年


横長1冊
山高関係
12-4
 幾之丞の逝去に際し、当時の群馬県知事や医師萩原密蔵(詩人・朔太郎の父)ら多くの人から香典が寄せられたことがわかります。


9 〔辞令〕

明治41(1908)年

群馬県 → 山高とみ

1通
山高関係
2-128
 この年に開校された桐生高等女学校の助教諭兼舎監に任命された幾之丞夫人の辞令です。この学校は2021年4月から新設の桐生高校に統合される桐生女子高校の前身です。



 赤石氏が収集した文書・絵図で、53点が追加公開されました。今回の公開分には東毛地域の歴史資料が含まれています。江戸時代のものには関所通し証文、為替手形、図・絵図などがあります。

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10 一札之事(此の者2人富士参詣に罷り通り、関所通し証文)

寛政11(1799)年

上州山田郡丸山村 名主 林内  → 関所 当番衆中

竪 1枚

赤石氏収集
17
 山田郡丸山村(現・太田市)から、同村の2人が富士山へ参詣に出かけた際の関所手形です。


11

上州一国之図 *縦91.7㎝×横80.5㎝、画像は部分

文政2(1819)年

佐川勘六・弥兵衛之れを写す

1舗
赤石氏収集
54
 「桐生」(赤丸●)を中心とした地域について、絵や文字で当時の情報が記されている大型絵図です。養蚕・製糸・織物業に関し、多く記されています。


12 上野国山田郡桐生新町寄場組合村々麁(あら)絵図面(写)*縦40.7㎝×横53.3㎝

明治元(1868)年


絵図1舗
赤石氏収集
50
 桐生新町(黄色い長方形)、寄場組合村々(黒枠の長方形)や、渡良瀬川などの河川(青い太線)、山・丘陵(灰色)が明瞭に描かれている絵図です。


13 〔前橋鎮撫附 水沼役所より急廻状〕(制札改め兼地方諸帳面取調の件)

慶応4(1868)年

前橋鎮撫附 水沼役所 → 日影南郷村持ち添え、下水良村ほか、右村々役人中

継 1通

赤石氏収集
8
 慶応4(1868)年8月、勢多郡水沼村(現・桐生市黒保根町)の星野家から出された、赤城山北麓の村々への至急廻状です。


14  上野国新田郡太田在姫子鉱泉場真景 *包紙有

大正2(1913)年以降

鉱泉湯元 大島館

1枚
赤石氏収集
43
 今はなき姫子鉱泉(現・太田市大島町に所在か)と、その近景および遠景が名所を中心に描かれています。



 若宮八幡宮は、前橋市青梨子町にある神社です。『群馬県史』の編さん時にも調査された江戸時代の古文書2点のほか、神社に関する近代の文書があります。

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〇若宮八幡宮に関する文書   


15 八幡社境内改革記 (八幡社野取り絵図など)

明治34(1901)年

区長 松下政右衛門、ほか47名

竪 1冊

若宮八幡宮
4
 「改革」(除草作業など)により明確にされた境内の範囲や、本殿・拝殿などの様子がわかる絵図もあります。

16

枯損木伐採願(若宮八幡宮図面、ほか)

明治35(1902)年

信徒惣代人 松下勘治郎、ほか4名 → 群馬郡長 今村眞橘

罫 1綴

若宮八幡宮
5
 枯れた「老木」の杉の位置が赤丸●で示されています。

17 譲與、売払申請書(位置図、ほか)

昭和23(1948)年

若宮八幡宮主管者 中島綱五郎→ 大蔵大臣 北村徳太郎

1綴
若宮八幡宮
13
 境内の敷地は緑色、参道は赤色に塗られ、建物や鳥居が記されています。

〇若者組/青年会の文書  
18 議定書之事(博奕の禁止、ほか)

安政3(1856)年

若者連名 三根造・増五郎・和蔵、ほか28名

継1通

若宮八幡宮
2
 地域の若者の決まり(博奕・買春の禁止など)です。一部には別の筆致で、明治時代のものと思われる語句が書き込まれています。

19  中組青年会契約事項

昭和29(1954)年

青年会

1綴
若宮八幡宮
15
 「中組青年会」の会員の年齢や、「春秋祭典」との関係など、当時の青年会の様子がわかる文書です。

ご高覧ありがとうございました!
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