平成26年度ロビー展示Ⅰ「近世上州の蚕糸・織物」(江戸時代~明治初期)



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1.養蚕・蚕書
 上州では近世初頭より養蚕が行われ、元禄期前後頃から真綿・絹・糸などが商品として生産されました。養蚕は蚕種(卵)紙を購入し(№2)、卵からかえった毛蚕(けご)を紙から掃きとって蚕座紙(さんざし)に移し(「掃き立て」)、温湿度や生育時期に合わせた桑の与え方などに注意して、良質の繭をより多く得ようとする営みです。繭は、農民にとって貴重な現金収入源でした。蚕が食べる桑は飼育上重要で、商品でもあり、年貢(課税)の対象にもなりました。蚕の糞も肥料として大事な商品でした(№3)。
 近世中期以降、養蚕業の著しい発展を背景に養蚕指導書(蚕書)が各地で刊行されました。正徳2年(1712)、群馬郡北下村(現吉岡町)の馬場重久が著した『蚕養育手鑑』(№1)が刊行されました。重久は、馬場鍬の発明者でもありました。寛政6年(1794)、群馬郡渋川町(現渋川市)の儒者吉田芝渓が著した『養蚕須知』も有名です。天保期の『新撰養蚕往来』(№4)や明治5年(1872)に佐位郡島村(現伊勢崎市境島村)の田島弥平が清涼育などについて記した『養蚕新論』(№5・ №6)も広く読まれました。
表題 和暦年 西暦年 月日 文書群名 請求
番号
文書
番号
形態
1 蚕養育手鑑 正徳2年 1712 11月 武藤文二家文書 P8806 7417 竪1冊
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№1
№1 釈文
2 乍恐以添状申上候(黒川村甚左衛門蚕種代相滞訴訟に付御取上願) 元文元年 1736 10月 神戸金貴家文書 P8213 2809 竪1通
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№2 釈文   №2
3 覚(蚕糞1俵代銭請取) 明和9年 1772 10月 中島徳造家文書 P8909 1010 切1通
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№3 釈文 №3
4 新撰 養蚕往来(「蚕のちいさき時きざみたるくハをあたふる図」) 天保8年 1837 正月 坂本計三家文書 P8202 2202 竪1冊
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№4  №4 表紙
№4 釈文
№4 拡大
№4 拡大 釈文
5 養蚕新論 坤(巻之三・四・附録、「蚕ヲ籠ニ拡ゲタル図」) 明治5年 1872 6月 土屋喜英家文書 P1103 424-2 1冊
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№5      №5 表紙
6 養蚕新論 坤(巻之三・四・附録、「宿繭図・繭大小図」) 明治5年 1872 6月 土屋喜英家文書 P1103 424-2 1冊
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№6
2.絹糸貫目改所、蛹売買
 天明元年(1781)6月、幕府は上武両州の絹市場10か所に改会所を設置し、7月より市場で取引される生絹(きぎぬ)・糸・真綿などを改め、買人から改料を徴収する旨の触れを出しました。生産者農民は、改料は運上(税)で、結局自分たちが納入者になり、取引が面倒になって諸国商人が寄りつかず市場が衰えてしまうと考え、桐生領村々の農民は江戸の領主に対し訴願運動を展開しました(№7)。西上州の農民たちも訴願運動を行いましたが、一方で設置賛成派と思われる在郷商人・名主らに対し、8月9日から現在の甘楽町・藤岡市・富岡市・下仁田町・高崎市に当たる村々で打ちこわしを行いました。その後、一揆勢約6万人は高崎城下に入り、鉄砲で固めた藩兵とにらみ合いになりました(№11)。一揆拡大を恐れた幕府は、同16日改所設置を中止しました(№8)。農民が、幕府領・藩領等を越えて広域的に団結し一揆に参加した背景には、生絹生産の発展と取引圏の拡大がありました(「上州絹一揆」)。
 蛹(繭)は、生産者農民から繭商人が買い付け、借金の担保としても扱われました(№9・№10)。
表 題 和暦年 西暦年 月日 文書群名 請求番号 文書番号 形態
7 目安(端物并糸真綿貫目改所相建候一件に付訴状) 天明元年 1781 8月 吉田允俊家文書 P9301 233 竪1冊
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№7
№7 釈文
8 諸端物糸真綿貫目改料御相止ニ付御触書惣百姓拝見証文 天明元年 1781 9月 飯塚馨家文書 P8214 1388 竪1冊
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№8
№8 釈文
9 借用金子証文之事(金6両、手作蛹書入ほか) 天明2年 1782 7月 関茂三郎家文書 P0104 101 竪1通
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№9
№9 釈文
10 金子借用手形之事(蛹手金15両、蛹売払金にて返済) 天保13年 1842 7月 笛木四郎右衛門家文書 P8418 346-30 竪1通
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№10
№10 釈文
11 上州・武州北部の絹市と絹一揆関係図 天明元年 1781 8月 オリジナル作成
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№11
7 目安(端物并糸真綿貫目改所相建候一件に付訴状) 天明元年 1781 8月 吉田允俊家文書 P9301 233 竪1冊
8 諸端物糸真綿貫目改料御相止ニ付御触書惣百姓拝見証文 天明元年 1781 9月 飯塚馨家文書 P8214 1388 竪1冊
9 借用金子証文之事(金6両、手作蛹書入ほか) 天明2年 1782 7月 関茂三郎家文書 P0104 101 竪1通
10 金子借用手形之事(蛹手金15両、蛹売払金にて返済) 天保13年 1842 7月 笛木四郎右衛門家文書 P8418 346-30 竪1通
11 上州・武州北部の絹市と絹一揆関係図 天明元年 1781 8月 オリジナル作成
3.絹織物・太織
 桐生の絹織物は、元文3年(1738)、京都西陣から「高機」による新織法が伝えられ、以降飛紗綾・縮緬・紋絽などの高級絹織物を生産するようになりました。一方、生産工程が分業化され、織屋・績屋(つむぎや)・糸紺屋などの業者間で株仲間が結成されました。文政7年(1824)に桐生織屋仲間が取り決めた掟(№13)は、織物業の中心である織(機)屋の中で、後に尾張徳川家の御用織物を請け負った吉田家に残された文書です。織屋の賃機屋や奉公人獲得競争(糶合 せりあい)を規制する内容で、桐生織物の発展ぶりがうかがえます。賃機屋は織屋から原料糸・資金の提供を受けて織り、織物を納入し工賃で返済していました(№12・№14)。
 生絹は、農家が養蚕から一貫して絹を織ったものです。太織(ふとり)は玉糸(たて糸)・のし糸(よこ糸)を原材料とする織物です。共に「上州絹」と呼ばれていました。安政3年(1856)の「口演」(№15)は、生絹・太織の尺幅(織り幅)について、衣類の仕立て方の変化や呉服屋衆の要請で織り幅延伸を取り決めた藤岡町絹商人から織元に宛てた文書です。
表 題 和暦年 西暦年 月日 文書群名 請求番号 文書番号 形態
12 一札之事(織物代金179両余借用、年賦返済の旨) 天明8年 1788 4月 林晴嵐氏収集文書 P9611 24-1 状1通
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№12
№12 釈文
13 掟(桐生織屋仲間) 文政7年 1824 2月改 吉田允俊家文書 P9301 461 継大1通
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№13
№13 釈文
14 覚(織物代金引残り金1両2朱借用証文) 天保6年 1835 8月 吉田允俊家文書 P9301 252-56 切1通
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 №14 
 №14 釈文 
15 口演(絹太織尺幅変更織立依頼)  安政3年 1856 4月 山田松雄家文書 P8217 1538 継1通
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№15
№15 釈文
12 一札之事(織物代金179両余借用、年賦返済の旨) 天明8年 1788 4月 林晴嵐氏収集文書 P9611 24-1 状1通
13 掟(桐生織屋仲間) 文政7年 1824 2月改 吉田允俊家文書 P9301 461 継大1通
14 覚(織物代金引残り金1両2朱借用証文) 天保6年 1835 8月 吉田允俊家文書 P9301 252-56 切1通
15 口演(絹太織尺幅変更織立依頼)  安政3年 1856 4月 山田松雄家文書 P8217 1538 継1通
4.横浜開港と生糸・蚕種紙輸出
 安政6年(1859)、横浜港が開港し、諸外国との自由貿易が開始されました。上州の生糸は、荷主や売込商人たちによって大量に開港場へ持ち込まれ、その大消費地であった桐生地域は原料生糸の品不足・価格高騰に苦しみました。前橋の横浜向け「国産生糸」は、陸路と平塚川岸(かし)からの利根川水運により、一旦江戸深川の前橋藩御蔵へ運ばれたようです(№16)。
 間もなく「のし糸」など粗悪品が出回り(№19-2)、生糸は重さで取引されたため、糸売り人の「巻紙」・「厚紙」(厚く紙を巻いたり、巻紙の裏側に鉄粉を入れたり)などの不正が横行し、文久3年(1863)5月、前橋・高崎・伊勢崎・渋川・白井などの糸仲間・世話人たちは、市場に来る糸買い商人たちに「厚紙糸」を買い取らせないことなどを議定しました(№17・№18・№19-1)。
 慶応期、生糸需要は増加し、藤岡町周辺の村々では蚕種を盛んに掃き立て、養蚕に取り組みました(№20-1)。慶応2年(1866)、岩鼻代官所は生糸蚕種改会所設置を触れました(№20-2)。
表 題 和暦年 西暦年 月日 文書群名 請求番号 文書番号 形態
16 御国産生糸平塚川岸ヨリ出帆深川佐賀町油堀御蔵迄荷物運送方取扱書写 万延2年 1861 5月 松井家旧蔵文書 P01013 41 1冊
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№16№16 №16
№16 釈文
17 為取替申議定之事(御開港以来生糸巻紙不正取引、仲間衆評議定に付、伊勢崎町市場世話人差出書) 文久3年 1863 5月 松井家旧蔵文書 P01013 145 継1通
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№17
№17 釈文
18 為取替申議定之事(生糸売買に付、渋川宿糸仲間惣代議定差出書) 文久3年 1863 5月 松井家旧蔵文書 P01013 218 竪1通
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№18
№18 釈文
19-1 議定(糸市生糸売買、巻紙等不正、桐生・足利辺機屋難儀に付) (文久3年カ) 松井家旧蔵文書 P01013 51 竪1冊
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№19-1
№19-1 釈文
19-2 議定書(前橋糸浜出しにつき) 文久元年 1861 5月 松井家旧蔵文書 P01013 50 1冊
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№19-2
№19-2 釈文
20-1 去寅年蚕種はき立数取調書上帳 保美村組 慶応3年 1867 2月 清水てつ家文書 P8108 435 竪1冊
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№20-1
№20-1 釈文
20-2 生糸市場売捌方并蚕種紙御改之義ニ付御触書御請印帳(御改革五拾一ケ村連印岩鼻附御料所三波川村) 慶応2年 1866 6月 飯塚馨家文書 P8214 2572 竪1冊
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№20-2
№20-2 釈文
21 〔錦絵〕(伊太利人前橋城下誘引到着の図) *彩色 明治2年 1869 5月 遠藤昌孝家文書 P0702 3 1巻
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№21

16 御国産生糸平塚川岸ヨリ出帆深川佐賀町油堀御蔵迄荷物運送方取扱書写 万延2年 1861 5月 松井家旧蔵文書 P01013 41 1冊
17 為取替申議定之事(御開港以来生糸巻紙不正取引、仲間衆評議定に付、伊勢崎町市場世話人差出書) 文久3年 1863 5月 松井家旧蔵文書 P01013 145 継1通
18 為取替申議定之事(生糸売買に付、渋川宿糸仲間惣代議定差出書) 文久3年 1863 5月 松井家旧蔵文書 P01013 218 竪1通
19-1 議定(糸市生糸売買、巻紙等不正、桐生・足利辺機屋難儀に付) (文久3年カ) 松井家旧蔵文書 P01013 51 竪1冊
19-2 議定書(前橋糸浜出しにつき) 文久元年 1861 5月 松井家旧蔵文書 P01013 50 1冊
20-1 去寅年蚕種はき立数取調書上帳 保美村組 慶応3年 1867 2月 清水てつ家文書 P8108 435 竪1冊
20-2 生糸市場売捌方并蚕種紙御改之義ニ付御触書御請印帳(御改革五拾一ケ村連印岩鼻附御料所三波川村) 慶応2年 1866 6月 飯塚馨家文書 P8214 2572 竪1冊
21 〔錦絵〕(伊太利人前橋城下誘引到着の図) *彩色 明治2年 1869 5月 遠藤昌孝家文書 P0702 3 1巻
5.世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の時代へ
 本年6月25日、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が正式に世界遺産に登録されました。今回は、その4構成資産のうちの3資産に関する史料を展示します。
 「製糸場取扱方法伺」(№22)は、明治5年(1872)に富岡で、当文書寄贈者阪本家の祖先が、初代場長尾高淳忠(おだか あつただ)の蔵書から書写した文書です。「御雇仏人フリウナ」(ブリュナ)との約定書では、製糸場施行の順序・損益について曖昧であり安心できないので、ここに取扱い方法の「三道」を記す、としています。
 『養蚕新論』(№23)には、近代養蚕農家建築の原点となった田島弥平旧宅(主屋)が描かれています。前頁に記された「遠山近水邨舎」は、頼山陽が名付けたとされる田島家の屋号です。後に、『続養蚕新論』も出版されました。
 明治17年2月、県は養蚕教育機関の高山社設立を許可しました。「養蚕改良高山社設立願」(№24)は、前年の明治16年12月に蚕飼育方法の研究、蚕種精選、繭・生糸の品位精良、など同社設立の趣旨を記した史料です。 
表 題 和暦年 西暦年 月日 文書群名 請求番号 文書番号 形態
22 製糸場取扱方法伺(三方法、取扱施行順序、損益高見込、入費高) 明治5年 1872 阪本千太郎家旧蔵文書 P08405 96 竪1冊
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№22
№22 釈文
23 養蚕新論 乾(巻之一・二、遠山近水邨舎図) 明治5年 1872 6月 土屋喜英家文書 P1103 424-1 1冊
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№23
24 養蚕改良高山社設立願(諸規則) 明治16年 1883 12月 坂本計三家文書 P8202 3326 罫1冊
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№24
№24 釈文
25 養蚕改良高山社々員之証 *彩色 明治23年 1890 3月 坂本計三家文書 P8202 1566-2 1枚
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№25
22 製糸場取扱方法伺(三方法、取扱施行順序、損益高見込、入費高) 明治5年 1872 阪本千太郎家旧蔵文書 P08405 96 竪1冊
23 養蚕新論 乾(巻之一・二、遠山近水邨舎図) 明治5年 1872 6月 土屋喜英家文書 P1103 424-1 1冊
24 養蚕改良高山社設立願(諸規則) 明治16年 1883 12月 坂本計三家文書 P8202 3326 罫1冊
25 養蚕改良高山社々員之証 *彩色 明治23年 1890 3月 坂本計三家文書 P8202 1566-2 1枚
6.養蚕錦絵
 当館は、多色刷りの「養蚕錦絵」を10枚余り収蔵していますが、そのほとんどは明治期に刷られたものです。「大奥美人養蚕ノ図」(№26・№27・№28)は、蚕種(卵)掃き立てから生糸生産までの一連の作業が、色彩豊かに3枚にわたって描かれています。
表 題 和暦年 西暦年 月日 文書群名 請求番号 文書番号 形態
26 〔養蚕・繭錦絵〕 *彩色 明治30年 1897 坂本計三家文書 P8202 1278 1枚
27 〔繭・糸とり・生糸錦絵〕 *彩色 (明治30年) 1897 坂本計三家文書 P8202 1279 1枚
28 大奥美人養蚕ノ図 *彩色 (明治30年) 1897 坂本計三家文書 P8202 1228 1枚
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№26№27№28
29 〔錦絵〕(千代の栄蚕之養ひ、稚蚕・繭) *彩色 ※№429 1・2セットで展示 明治カ 松井家旧蔵文書 P01013 429 1
429 2
2枚
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№429-2№429-1
30 蚕養草(収繭錦絵) *彩色 明治18年 1885 10月 松井家旧蔵文書 P01013 430 1枚
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№30
26 〔養蚕・繭錦絵〕 *彩色 明治30年 1897 坂本計三家文書 P8202 1278 1枚
27 〔繭・糸とり・生糸錦絵〕 *彩色 (明治30年) 1897 坂本計三家文書 P8202 1279 1枚
28 大奥美人養蚕ノ図 *彩色 (明治30年) 1897 坂本計三家文書 P8202 1228 1枚
29 〔錦絵〕(千代の栄蚕之養ひ、稚蚕・繭) *彩色 ※№429 1・2セットで展示 明治カ 松井家旧蔵文書 P01013 429 1
429 2
2枚
30 蚕養草(収繭錦絵) *彩色 明治18年 1885 10月 松井家旧蔵文書 P01013 430 1枚