平成18年度 史料展示2
古文書から見る江戸時代
     〜村の掟(おきて)と庶民の生活〜

2 時代の変遷と村掟
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2−6 江戸幕府の倒壊「議定連印書付」 30×20cm
小林小五郎家文書(藤岡市中大塚) P8117-190 慶応4年 1868

              
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【大意】
 今度、岩鼻役所で非常事態のため銃隊を編成することになり、我々の村へ人足を一六人、才領(指揮・監督にあたる者)を一人出すように命じられたので、一同相談して、左の様に取り決めた。
 戦死した者へは、一人百両を払う(つもりである)。村人すべてで、負担額を出し合って死んだ者の家族へ渡すこと。


【解説】
 戊辰戦争の発端となった鳥羽・伏見の戦い(一八六八)に勝利した維新政府は、江戸城攻撃のために慶応四(明治元)年正月二一日に東下を開始しました。これに対し、岩鼻陣屋詰の関東取締出役の渋谷鷲郎は、村々から一○○石につき一人の割合で農民を徴発して、藤岡で西洋式訓練を施した銃隊の編成を計画しました。結局この計画は、上州諸藩の動向や農民の反対運動などにより失敗に終わりました。この史料には、岩鼻役所(岩鼻陣屋)が銃隊を取り立てることに関連して、村が差し出す人足一七人ついての日給、食物、死傷した際の取り決めが記されています。



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